So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

新藤兼人監督死去 100歳の大往生 [訃報]






新藤兼人(しんどう かねと)監督がお亡くなりになられました。


先月の4月22日に100歳を迎えていたということで、
まさに大往生で逝かれたようです。


5月29日の午前9時24分、東京都港区赤坂の自宅で、
同居していた孫の風さんにみとられ眠るように、
老衰のため息を引き取られたとのこと。



新藤兼人監督の製作意欲は最後まで衰えなかったようで、
監督賞と作品賞を受賞した昨年2011年12月28日の

日刊スポーツ映画大賞の授賞式後、


「周囲が許せば、もう1本。100歳の映画を撮りたいと思う」


と語っていたそうです。


クマ親子を描く作品と自分の母親を題材にした映画2本を構想していたとか。


昨年の国内映画賞を総なめした
一枚のハガキ」が遺作となりました。


偉大なる日本の名監督、
新藤兼人監督のご冥福をお祈りいたします。


たくさんの名作をありがとうございました。


  


新藤兼人 プロフィール
しんどう かねと


本名 新藤兼登(かねと)


1912年(明45)4月22日生まれ 100歳没
広島県生まれ。


34年に京都・新興キネマ現像部に入り、
シナリオを書き始め、溝口健二監督に師事。


44年に松竹大船撮影所脚本部に移籍。
同年4月に軍に召集され、終戦は宝塚海軍航空隊で迎えた。


50年に松竹退社し、近代映画協会設立。
51年「愛妻物語」で監督デビュー。


代表作は「裸の島」「午後の遺言状」など。


生涯に手掛けた脚本は250本以上。
02年に文化勲章受章。


新藤兼人氏は、
脚本家として評価を高めた50年に松竹を退社。


独立プロの近代映画協会を設立して監督デビュー。


故郷広島を舞台にした52年「原爆の子」で、
戦後初めて原爆を題材にした映画を製作。


ところが同映画以降、ヒットに恵まれず、倒産の危機に立たされた。


大映を退社した乙羽信子さん(享年70)を主演に起用し続け、
「これが最後」のつもりで製作費500万円の「裸の島」を撮影。


60年に公開すると、モスクワ国際映画祭でグランプリを獲得。


各国から買い付けが相次ぎ、借金を返済した。


前妻が亡くなった後の78年、
資金集めなども含め苦楽をともにした乙羽さんと結婚。


周囲に「最高の女優」と語るおしどり夫婦だった。









nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は180日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。